さよなら、RS

2005/9/25
2004年8月8日。思い出すことはできないけれど、忘れてはならない日。



7月中旬、退職を決意した。退職金を計算したら予想外にあることがわかったので、バイクを買い換えることにした。別にRSが嫌いになったわけではない。ただ、本当に欲しかった”K”のエンジンに、乗れるうちに乗っておきたかった。

ディーラーに行き、ブレーキパッドとヘッドカバーの交換作業を待つ間にそんな話をしていた。次のバイクはK100RS4V。委託車両で程度は劣悪。車両本体が40万円台後半なのだが、転倒のためカウルが大きく割れ、歪んでいる。足つきはいいが乗り心地の悪いローシート仕様。ただ、全部直しても100万程度に収まる。金が入り次第、連絡すると言い残してその日は帰った。
翌日、早朝からぶらりと家を出た。国道1号線を当てもなく西へ向かい、鈴鹿峠の手前から国道306号線で関が原方面に向かい、さらに鞍掛峠を越えて滋賀県まで足を伸ばした。多賀大社に立ち寄りもせず彦根から名神高速に入り、米原ジャンクションで北陸道へ。琵琶湖を素通りして木之本で降りた。余呉湖という小さな湖を一周して、更に北へと向かった...



気が付いたら見知らぬ場所に寝ていた。なぜか家族がいる。何が起こったのかまったく判らない。体が動かない。声も出ない。口のなかに何かが押し込まれている。
事故を起こして病院に運ばれたこと。右足大腿部を骨折していること。肝臓、腎臓、肺に損傷があること。事故を起こしたのは8月8日で、今日は8月の中旬であること。それらを理解するまでにかなりの時間を要した。しかし不思議と絶望や動揺はなかった。

長い入院生活が始まった。大腿頚部(骨頭)を骨折しているため、将来バイクはおろか歩くこともままならないかもしれない。それでもバイクに対する執着は消えなかった。
この足ではKの車重を支えられない。残念だが諦めよう。だがRSに側車をつけるのは面白いかもしれない。そうだ、RSの損傷はどの程度だろう? エンジンが無事ならいいなぁ...
足に錘を吊るされ、脇腹に血抜きのチューブを入れられ、人工呼吸器で酸素を補い、肩の点滴で栄養を摂取しながら集中治療室の中でそんなことを考えていたのだ。今にして思えば我ながら呆れたものだが、当時は真剣だったのだ。
付け加えると、冒頭の話はさらに後になって様々な状況証拠(ディーラーとのやりとり、カードの明細など)から事故前日と当日のことだったと判明したもので、自分は「あれは7月の中ごろのこと」だと信じ込んでいた。人間の記憶などあてにならないものだ。

結局、RSを廃車処分したのは10月も末になってからだった。あんなにあっさりと手放す決心をしたのに、諦め切るまでには長い時間が必要だった。

手元に「検査記録事項等証明書 保存記録」がある。任意保険の中断手続きに廃車の正確な日時が必要だったために取得したものだ。この書類には初年度登録から現在までの、全ての使用者・所有者の履歴が住所氏名付きで記録されている。
それによると、初年度登録は平成7年3月中旬、所有者名義はヤマハオートセンター(レッドバロン)。3人のオーナーを経て平成15年3月に一旦検査証返納。その翌月に自分が購入したことがわかる。
事故直前の走行距離は43,500マイル。8年間で15,500マイルしか走らなかったバイクが、その後わずか1年半弱で28,000マイルも走らされたわけだ。RSにしてみれば、15年分の仕事を1年半でさせられた気分だったのかもしれない。その割にはトラブルの少ないバイクだったと言えるだろう。



今ようやく言える。さよなら、RS。自分は幸運にもライダーとして復帰できたけど、まだ君の幻影を追いつづけているよ。多分いやきっと、これから先もずっと。

でもやっぱり思う。あれはバイクではなかったのではないかと。バイクの形に似た、何か別の乗り物だったのではないかと。


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