<バイクに何を求めるか?>
1999/12/24
スピードと加速。究極的にはこの2つしかない。
でもその2つだけでは世の中を渡って行くには辛すぎるので、快適さだとか燃費のよさだとか、そんな付加価値が欲しくなる。

なぜスピードか?
たとえば時速80キロ位で何時間も走り続ける事があったとしよう。その時に乗っているバイクの最高速度が時速80キロだったとしたらどうだろう?
そんなバイクで何時間も走ったら、その後がなくなりそうだなというのは感覚的にわかるでしょう?
では、
100分の80では?少し余裕があるかな。
200分の80では?これなら余裕ですね。
欲を言えば、エンジンの回転数は低ければ低いほうがいい。紙やすりで何かの表面を磨く時、早く動かすのとゆっくり動かすのと、どちらが先にきれいになるでしょう?という問題。いくら速くても、あっという間に壊れるようなバイクは要りません。
常識的に出していい最高速度は決まっているから、現実問題としてはどうでもいいことかもしれない。たまに人目を盗んで楽しむだけ。

なぜ加速か?
これは理屈じゃないね。気持ちいいからですよ。
高速道路を走っていて、ふと気が付くと目の前に誰もいない。後ろにも。
安全を確認した気になって、監視の目も届いてないことを確認した気になって、おもむろにアクセルを開ける。
次第に辺りの景色が溶けて流れてゆく。
風圧で吹き飛ばされそうになる。
この感覚、ジェットコースターやバンジージャンプでは味わえないだろう。
ガソリン代と高速代だけで、しかも状況さえ許せば連続的に味わえる。
そのうち、前の車に追いついたり監視の目に気が付いたりしたら宴の終わり。運が悪ければ追加料金を払う羽目になるかも。
常識的な話もしよう。
信号が赤から青に変わった時、周りの車より一歩先に出る事が出来ればそれだけ自由度が高くなる。右折、左折、針路変更、停止。すべての動作に余裕が出来る。周りの車に気兼ねをする必要性が減る。それがすなわち安全運転。

その2つを手にし続けるために必要なものはなんだろう?
金?
免許?
余暇?
いやいや、自制心。これに尽きるでしょう。
自制心を失って無茶をすると、最終的にはすべてを無条件で失う羽目になる。
でも自制心を保つことって、本当に難しい。
何故だろう?
人間が本質的には無茶をしたい存在である証拠なのかもしれない。

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