死の行進の彼方に

突然降って湧いた「死の行進への強制参加令」。それからおよそ二週間が経とうとしていたある日の午後、ようやく解除される見通しがついた。残念ながら行進自体が止まるわけではない。ただ自分が抜けられるだけだ。
何をいつまでに終わらせなければならないか。終わらせるためにかかりそうな時間はどれくらいか。問題点は何件あって、解決の見通しがあるものないものの分類ができているか。
ソフトウェアに限ったことではなく、一般的にプロジェクト運営をこなしてゆくためには常日頃から考えておかなければならないことである。その情報整理がうまい人が管理職にあるプロジェクトは成功し、管理職の立場にある人が現場の細微な事柄にまで干渉するようなプロジェクトは失敗する。今回は後者のパターンだった。

仮にも...仮にもだ。社会インフラの基盤を担う大企業の、その子会社とはいえ中級管理職の立場にあって十数人の部下がいるお方がだ。ご自分でソースコード1つ1つの修正レビューと管理を行っていらっしゃる。担当者を直々に呼びつけて。今時流行りの、いや、もはや常識というよりも必須アイテムとなっている各種の管理ツールを使わない、自らの手作業によって。
それだけではない。十数人の大規模プロジェクトになれば、設計書類の充実はプロジェクトの成功に欠かすことができない大事なことなのだが、どうもそれをわかっていらっしゃらない。ドキュメントが充実していても、人によって解釈がぶれるのが当たり前なのに、ラフスケッチをチョイと見せられて間違いなく物が出来上がると期待する方が間違っている。
管理者の仕事というのは、そのようなブレやバラつきがないかを常に監視し、できるだけ早期に発見し、作業者達、ひいてはプロジェクト全体を正しい方向に導くことである。管理職の給与が作業者達よりも一般的に高額なのは、その職務が多大なストレス、特に作業者達からの恨み・憎しみを一身に受けざるをえない立場であるためだ。
今回の管理者様は、典型的な「技術ヲタク」だった。要素技術と出来上がる製品にのみ関心があり、製造過程にはあまり興味を示されない。さらに悪いことに、猿山のボスでなければ気がすまない人だった。反論は許さない。勝手な真似はするな。黙って従え。気に入らない奴は切る。
約一週間の間にこのような人柄を読んだ自分は、どのようにして離脱するかだけを一生懸命考えていた。その結果、喧嘩をするのが早道だという結論に達した。

ある朝。扉の施錠を忘れた自分を件の管理者様が咎めた。その場ではない、数十分後のことだ。「扉を開けてもらったら鍵をかけなければと普通思うじゃないですか」と、こちらを「常識がない人間」と決め付けて説教口調で問い詰めてきた。その場はひたすら謝って逃れたが、これを奇貨としない手はなかった。
その後作業場に戻り、仕事もしないで考えていたのは「どうやって反論しようか、それも一見無難に見える内容で彼がカチンとくるようなことは...」という非生産的なことだった。
色々な反論パターンを考えたが、結局採用したのは次のような文面だった。
普通、これだけの規模のプロジェクトならソース管理ツール導入は必須だと思うのです。手作業による管理が時間の無駄と作業ミスと士気の低下を引き起こしているように見えるのですが、それでも導入しないのは何か理由があってのことなんでしょうか?後学のためにも是非お教えください。
簡易メールツールの小さなテキストエリアに文章を手早く打ち込み、送信ボタン押下。しばらくして管理者様から「あとで聞きにきなさい」と短い返答。だが訪ねてみると不在。
午後になって自社の上司から連絡が入った。「明後日で終わり」と。作業場で笑いをこらえるのが大変だった。わかりやすい人だとは思っていたが、ここまで反応がストレートだったとは。おそらく自社には施錠忘れの件だけが苦情として伝わったのだろう。しかしそんなことはどうでもよかった。この馬鹿馬鹿しい場所から逃れられるだけで充分だった。

実は問いに対する回答は、以前から現場にいた自社メンバーによって既にもたらされていた。いわく、ルールを守らないで作りかけのものを勝手にアップロードされて困ったことがある、と。しかしそれは裏返せば「メンバー間の意思統一を図るための努力」が致命的に不足していることの現れである。ルールを守らないメンバーは叱責し、遵守を約束させなければならない。できないなら去らせるしかない。そこには当然、双方に痛みが生じるが、痛みを乗り越えなくしてプロジェクトの成長はありえない。

ともかく、自分の願いはあっけなく果たされた。何度か血管が切れそうになるほど議論というよりも罵り合いをしなければならないと覚悟していた自分にとっては拍子抜けだった。あるいは管理者様から見れば、「蟻にも満たない糞の分際で生意気な...」と思われただけかもしれない。
しかし自分は以前、同じようなプロジェクトで同じようなメール爆弾を受け取って、真摯に対応してくれた立派な管理者を知っている。その人の態度と比較したら、今度の管理者様など箸にも棒にもかからない。むしろ喜んで手を切って差し上げます。そう言いたいところだ。
ともあれ、自分は平和な日常を取り戻すことができた。あの現場の連中に「役立たず」といくら罵られても構わない。むしろそうすることで彼らの苦痛がいくらかでも和らぐのならば、よろこんで罵倒されよう。



約一週間の骨休みの後、自社の上司から漏れ聞いた。「あれは作り直しになることがわかっている...」と。なんでも政治レベルでの仕様決定が遅れに遅れたのが根本原因だとか。社会的に発表した手前、納期は絶対死守しなければならない。だが仕様(制度といってもいい)がさらに変更されて、今まで必死に作ったものはじきに使われなくなることが既にわかっている。これでは現場のモチベーションも維持できるはずがない。悪いことには悪いことが重なるものである。
社会インフラのソフト開発は市場動向に直接左右されないため、中小規模のソフトハウスにとっては貴重な安定収入源である。しかし現実は、何もわかっていらっしゃらない「お偉方」によって方向が決定され、現場スタッフはギリギリまで追い詰められる。ましてまともな管理者がいないとなれば...

デス・マーチという言葉がソフトウェア開発現場に定着して久しい。この言葉は決して大っぴらに語られることはないが、この先も決して消えることはないだろう。
開発スタッフの一員としての自分は常に嗅覚を研ぎ澄まし、早めの対処を心がけなければならない。適度な束縛と適度な自由をこの先も楽しむために。

2006/4/2