BMW 第二章

またBMWのバイクを買ってしまった。いや、買ったのはもう二ヶ月も前のことなのだが、色々あって公表がずれこんだ。そのうえ乗り出しはまだ先になる。
2004年8月、自爆事故で瀕死の重傷を負ってしまった。それを乗り越えて2005年の5月にライダー復帰。以来、セローであちこちツーリングに出かけた。一日600キロ以上走ったこともある。ついこの間は泊りがけの小旅行も楽しんだ。しかし、旅先では常に奴=R1100RSの幻影に悩まされつづけていた。
高速道路ではメーター読みで90km/hしか出せない。追い越しなんてとてもできない。かといって下道を流しつづければ尻が痛い。急な上り坂は登坂車線に入らなければならない。こんなときRSなら...RSさえあれば...しかしこの体では大きく重いRSを意のままに操ることなど出来はしない。

ライダー復帰の少し前から目をつけていたR100RT。前のオーナーには失礼ながら、「身障者仕様」といえる改造がなされていた。オートリターン式でないサイドスタンド、アンコ抜きしたシート。その改造有無以前に、自分に残された左足だけでセンタースタンドを掛けられる車体の軽さ、安楽かつコンパクトなライディングポジション、唯一無二のスタイリング。
修理代含みで3桁万円は安い買い物ではないが、それでも「高くない」と自分に思わせてくれる魅力=魔力があった。

今になって思えばR1100RSは「二輪車の形に似た別の乗り物」だった。10年前にすでにABSとインジェクションを装備。ハンドルとシート位置そしてスクリーン角度が可変式。フルブレーキングでも前のめりにならない特異なフロントサスペンション。シャフトドライブなのに加減速の違和感がほとんどないリアサスペンション。比類なき積載能力。全てが「速く、快適に、遠くへ」のためにデザインされていた。
しかし自分にとってそれは「最良」の選択肢ではなかった。あまりにも快適すぎて、いや中途半端にスポーティーで、退屈さを覚えていた。もっと操る楽しさを味わいたい。もっと普通に走りたい。アウトバーンのない我が国にとってコイツはレベルが高すぎる。それで事故に遭う直前に、K100RSという古いバイクへの買い替えを決意していたのだ。

ディーラーさんには「もう少し待って、最新型のR1200STの試乗車落ちにしたら...」というアドバイスも頂いたが、それを敢えて袖にして購入を決意させたのは、にじみ出てくる「バイク臭さ」だった。なんというか、最新のバイクにありがちな「あなたは乗るだけ」的なよそよそしさがない。
10年前のR1100RSでさえ「完璧」と感じる自分には、最新のR1200シリーズは「凶器」に映った。最高のエンジン。最高のブレーキ。あんなのに乗ってしまったら、また無茶をしてしまうに違いない。「ニッポンの制限速度が低すぎるんだ」と訳のわからないことを脳内で反芻しながら。

今度のR100RTは初年度登録が1995年、製造年は1993年で、それだけ聞けば「ちょっと古いバイク」と思われるかもしれない。しかしメインのページでも触れたように、基本設計は1970年代後半、いわゆる「旧車」の部類に入る代物だ。
けれどディーラーの中古車コーナーに安置してあるコイツに跨っただけで、コイツは生まれながらの旅道具であることがわかる。R259エンジンを積んで巨大化し、「怪物」になってしまった現在のRTとは違う、等身大の旅道具だと。独逸人は否定するだろう。最新こそ最良である、というだろう。それは仕方がない。技術屋は常に新しいものを目指すものだから。

最後に謝っておきます。R151新野峠で煽ってしまった隼の人、東名高速下り大井松田〜御殿場間で前を塞いでしまったZX12Rの人、その他大勢のフル装備パールシルバー三河ナンバー初期型R1100RSに関わって不愉快な思いをしたライダー・ドライバーの皆様。そして誰よりも心を痛めた肉親の方々。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。もうしない、とは口が裂けても言えませんが、今までよりはおとなしく走ろうと思います。
2005/9/11