釘と金槌

今日、どこかのネットニュースで「ビジネス用IMなんてやめてくれ」という記事を見つけた。IMは人目を気にせずに自由に使えてるからいいのであって、ログを取られて後で解析されるようなことになると面白みがない...というような内容だった。これはこれで真実だが、僕はそもそも人付き合いが嫌いで、IMなんて使ったことがない。だから正直言ってどうでもいいこと。
でも1つだけ感じるのは、「下層階級の人たちが嫌がることは、上層階級の人たちが必ず実施する」という歴史の真実。きっと数年後には先の記事にあるような「企業がIMチャットを監視する」のが常識になるだろう。それは避けようがない。虐めや差別がなくならないように。今まさに差し迫っている2つの戦争を避けようがないように、それは歴史の必然。
そういえばこの国の最近とみに影の薄くなった総理大臣殿が「民意に従えば判断を誤る場合がある」とのたまっておられるが、自分に注目を集めるにしてはあまりにも軽率な発言であろう。それは「民衆は馬鹿だから我々の云う事をきいておけ」と云っているのに等しい。それは時を置かずして「戦争に行けと命令されたら逆らわずに行って死ぬべし」にまで昇華する。それは彼がいうように、「歴史が証明」している。この国ひとつをとってみても、60余年前を振り返るがよい。さらに遡って太閤殿下の頃をみよ。数人の狂人がこの国を滅茶苦茶にしたのではなかったか?

「金槌を持つと全てが釘に見える」という言葉を目にしたことがある。媒体がなんであったか記憶にないが、非常に印象に残っている言葉である。
それは、次のような実例により真実であることが示されている。
金槌の威力があればあるほど、釘はより大きく、叩いたときに魅力的な反応を示さなければならない。叩いたときに一番面白い反応を示すのは人である。ある者は怯え、ある者は怒り、反撃する。ある者は死ぬ。一度に叩ける釘の数が多ければ多いほど、反応の偏差が大きくなり、中には予想だにしない反応を示す者が現れるかもしれない。
数十万人が住む都市に爆弾を落としたら、街があっというまに焼け野原になった。なんと素晴らしい爆弾の威力よ! 人間の知識と技術を褒め称えよう! それでもまだ生きているものがいた。あぁ、なんて素晴らしい! しかも彼らの一部は数十年を経過してなお、苦しみながらも生き続けている。これを人間の生命力の強さと言わずしてなんと言おう? 改めて目を向けて驚嘆せよ! 人類万歳!

でも僕は思う。

金槌を叩く人よ、どうか僕に影響がない範囲で存分に槌を振るっておくれ。

釘になる人よ、どうかあっさりとどこかにめり込んで二度と姿を見せないでおくれ。

僕? 僕は勿論、高見の見物人を決め込むさ。

2003/03/05