明日
もしも明日が来なかったら、何が困るだろう?
結論は出ている。何も困らない。
事務的な諸手続きに煩わされる肉親と仕事上の関係者がほんの一時的に困るだけだ。自分は何も困らない。
明日を待ち望む理由、明日が必要な理由がない。今日までにやり残したこと、明日からどうしてもやりたいこと。それらが思いつかない。
北海道に行きたいとか、転職したいとか、新しいバイクに買い換えたいとか、故郷に帰りたいとか、安定した生活がしたいとか、家庭を持ちたいとか、全くないわけではない。だが執着といえるほどの思い入れもない。
「もう終わらせたい」と思うほどの積極性はない。「もう終わりでもいいや」といういい加減な思いよりも危険回避の本能の方が若干強めらしい。
二年前の夏からずっと、生きている理由、生かされている理由を探しつづけている。まだ見えない。むしろ時を重ねるにつれて曖昧になってゆく。「運」という1文字で片付けるのが適切なのかもしれない。
知り合いの子供さんが病気で亡くなったと伝え聞いた。運命とは時に残酷なものだと思う。
2006/6/17