ツーリングレポート・中国一人旅

〜山陽道・中国道1300キロ日帰りツーリング

4月13日(土) 快晴

トヨタ国〜岐阜県内

珍しく日が昇る前に目が覚めた。外が明るくなるまで部屋の中でうだうだと過ごしていた。今日は思いっきり走ろう。それだけは昨夜から決めていた。行く先?それは走り始めてから決めよう。いつものことだ。ただ、西へ行くことだけは何となく決めていた。大阪からどちらへいこう?丹後方面?和歌山?中国道?山陽道?それとも四国へ渡ろうか?全ては走り出してから。そして大阪についてから決めよう。
午前6時前、空はもう明るい。サドルバッグを装着し、各部の点検を行って走り出した。珍しく信号にあまり引っかからないで豊田ICまでたどり着いた。東名高速に上がり、行く宛てもない西行きの旅が始まった。
養老SAにて いつも走り出したときには「今日こそはゆっくり、ゆったり走ろう」と思うのだ。しかし高速に上がって数分も経つと、凶悪な交通犯罪者であるもう一人の自分が顔を出す。中央道の分岐を過ぎるあたりで巡航速度は100MPHになる。前をふさぐ遅い車を強引にかわしながら、それでも自分的には全然飛ばしている気がしない。ただスピードメーターが日本の法律の範囲外を指しているだけ。
そのペースのまま岐阜県内に入り、養老SAで一休み。ふとリアタイヤを見ると、表面が消しゴムのカスのような削れ方をしていることに気が付いた。溝の深さも半分ほどしかない。これで気分が萎えた。

名神〜山陽道経由 広島

制限速度をちょっとオーバーする程度のゆっくりとしたペースで距離を稼いでゆく。大津でガソリンを入れ、そこからノンストップで中国道に入った。西宮付近で数キロの渋滞に遭ったが、車の流れにまぎれてのろのろと通り過ぎた。後ろから2台のバイクがすり抜けて追い抜いていった。
名塩のSAで一息ついた。ここで行き先を確認してみる。中国道か山陽道か。中国道なら日本海に抜けるか。山陽道なら橋を渡るか。結局、80キロ規制を嫌って山陽道を進むことにした。目的地などない。お日様の見えている間にどこまで行けるか。はたまた何か気を引くものに出会えるか。

明石・淡路島方面への道を横目に、ひたすら西へ向かう。竜野SAで休憩。ここで時間を確認する。9時30分。3時間半。まだまだ疲れてはいない。このペースだと広島あたりまでは余裕で着けそうだ。
福山SAで給油。ついに広島県内に突入だ。尾道から島伝いに四国へ行こうか、それともまだまだ西へ行こうか。大体迷っているときの結果など知れている。分岐点を見送り、ひたすら西へ。広島まで行って何をしようか?何もすることなどない。三原、西条...懐かしい地名が視界に入り、後方に流れ去ってゆく。
西条からの長い下り坂の先は広島市内のはずだったが、山陽道は市内中心部をかなり北にはずれた場所を通過している。何となく開けた場所にビルがポツリポツリと見えるが、どこなのかさっぱりわからない。ふと目の前の山に見覚えがあった。確か「武田山」だ、と思った先がトンネルで、果たして「武田山トンネル」だった。離れてずいぶんたつ「故郷」。開発が進んでずいぶん変わり果てたのは知っていたが、まだ覚えていられる場所があった。何となくうれしかった。
宮島SAより眺める安芸の宮島 正午過ぎに宮島SAに着いた。ふとレストランらしい建物を見やると「ラーメン専門店」の文字が躍っていた。広島でラーメン専門店?「なんだそりゃ」と思いながら店に入ったが、果たして出てきたラーメンも「なんだこりゃ」という出来だった。SAにラーメン専門店とは確かに珍しい。でもそれだけだった。

秋吉台

山口県内に入ると車通りがほとんどなくなった。こういうときは取り締まりが一番怖い。ついつい上がり勝ちのペースを意識して抑えながら、見るべきものも見当たらない山口県内をダラダラと走っているうちに「中国道合流」の文字が目に入った。なんとまぁ、とんでもないところまで来てしまった。それでも西へ向かってゆく。
「美祢IC」の標識の下に、「秋吉台」の3文字が見えた。そこで今日の往路は終わりを迎えることになった。ICから出ると秋吉台まで約10キロの道のり。なんとなくカルスト台地を見たくなった。秋芳町内で給油。スタンドのおばちゃんが「これから秋芳洞?」と聞いてきたのでとりあえず「ええ...」と適当に答えると、「次の信号を左ね」と教えてくれた。
ガソリンを入れて、おばちゃんの言うとおりに交差点を左に曲がると秋芳洞。道の両端にみやげ物屋が並ぶ。その隙間のどこかにバイクを止める場所はないかと眺めているうちに秋芳洞を通り過ぎてしまった。どこを見ても有料駐車場ばかり。仕方なく秋吉台へ向かった。ちょっとした坂道を登り、秋吉台科学博物館前に着いた。バイクを止め、道の向こう側に広がる異様な光景にしばらく立ち尽くす。緑と白。草原と岩肌。そこかしこにそそり立つ石灰岩の群れが、まるで墓標のように見えた。
秋吉台到着!
展望台を望む
博物館


無料の博物館でしばらく休憩の後、カルスト台地を通り抜けた。曲がりくねった坂道を下った先に「大正洞」があった。秋芳洞を見たい気持ちはあったが引き返すのは癪だったので、こちらで我慢することにした。
駐車場にバイクを止め、少し歩いた場所にある入り口でラジオのような「解説機」を受け取って洞内に入ってゆく。狭い通路はほとんどが上り坂になっていて、通り過ぎるにつれてイヤホンから流れてくる解説が切り替わってゆくが、電波状態が悪いのか電池切れ気味なのか、静かな洞内なのに注意して聞き取らないと何を言っているのか良くわからなかった。入り口のかなり上に出口がある。30分ほどで外に出た。
大正洞に程近い場所に「影清洞」がある。大正洞の入場券を持ってゆくと半額で見学できるというので行ってみた。こちらのほうは平坦なだだっ広い空間が広がっていた。入り口からはちょっと想像できない広さだ。途中、二組の観光客とすれ違っただけの人気のない空洞。こんな場所がこの世にあるのか、と思いながら最深部へ着いた。一般の観光客はここまで。ここから先は特別イベントの参加者だけが入れる地底の川があるそうだ。ゆっくりと歩きながら出口へ引き返し、外へ出た。午後4時を回っている。そろそろ帰ろうか。

中国道一人旅(前編)

小郡まで一般道を走り、中国道に戻った。すぐに山陽道と分かれて山の中へ入ってゆく。対向車は時々見えるが、上り車線には先行車も後続車も見えない。およそ50キロの区間、まったく車に会わなかった。バイクに乗り出してもう8年、23万キロを走破してきたが、こんなことは覚えがない。この区間の中国道上り線は山陽道の開通でその役割を終えてしまったのだろうか。
山陽道分岐点から55キロの地点でようやく先行車に追いつき、追い抜いた。その直後、対向車線にパトカーが見えた。さらにその少し先で、中央分離帯にある上り線と下り線を結ぶ退避所に、パトカーがこちらに尻を向けて止まっていた。飛ばしすぎていたかも知れないと思ってスピードを落としたところにパーキングエリアの案内標識が目に入った。ちょっと一息入れることにした。パーキングエリア手前にトンネルがあり、半分ぐらい通過したと思ったところにバックミラーに後続車のライトが写った。えらいスピードで近づいてくる。こちらはもう休憩モードになっていて、時速80キロそこそこまでスピードを落としているのであっという間に車間が詰まる。しかしその車はまったく車線を変える気配を見せない。パーキングエリアへの入り口車線に入ったところでその車が横にならんだ。と思ったらパトカーだった。助手席の警官と目が合った。先ほど中央分離帯にいたパトカーに違いない。こちらの焦った様子を感じ取ったらしく、ニヤリと笑った目元が見えた。危ないところだった。

広島県内を通過するうちに日が暮れた。先ほどのパトカー遭遇の後遺症のせいでペースが上がらない。まじめに制限速度を守って走る自分を、地元ナンバーの車が時々追い越してゆく。広島北JCTで広島自動車道と合流したすぐ先の安佐SAで一休み。
休憩所で道路情報を漁っていると、気になる注意書きがあった。この先にあるいくつかのサービスエリア内のガソリンスタンドが、夜間営業していないという。午後7時まで。さて困った。ガソリン残量は中途半端。ちょうど給油ポイントにあたるのがその7時で閉まるスタンドらしい。中国道の小郡〜落合間は山岳ルート、しかも今回初めて通る未知のコース。地図とにらめっこして給油ポイントを探すと、七塚原というSAでは給油できるらしい。まずはそこを目指すことにした。
安佐SAから千代田町に向かう。明神峠までの長い上り坂だ。中学生の頃、並走する国道261号線をよく自転車で走っていたのを思い出していた。峠を越えると千代田町内まで長い下り坂になる。左手に国道が走っているはずなのだが、もう日がすっかり暮れて景色が見えない。しかし感傷に浸っている余裕などない。想い出の地を足早に通り過ぎた。
三次を過ぎ、庄原の手前にある七塚原で給油した。次の帝釈峡、大佐の2つのSAにあるスタンドはもう閉まっている時刻。「この先140kmスタンドなし 」という案内板があったのを思い出した。まったく、とんでもない道だ。ちょっとした情報入手の遅れが致命的な結果を招く。5年ほど前の自分なら確実にガス欠を起こして泣きを見ていたに違いない。まったく、今日はパトカーといいスタンドといい、経験値がモノを言ってる気がする。

中国道一人旅(後編)

七塚原を出ると、中国道は本格的な山岳ルートになってきた。冗談抜きで時速80キロペースが辛い。右へ左へカーブをこなし、帝釈峡・大佐のサービスエリアを横目にひた走る。昼間で疲れもない状態ならどうってことないルートだと思うのだが、なにせ今日だけで1000キロ近くを走ったあとの山道、疲れてはいるが休むわけにもいかず。まだ眠気と格闘するほどでもないなぁ、と思っていると、ふいに「北房JCTまで60km/h」という標識が目に入った。60キロ規制?いくら山道とはいえ、そこまでペースを落とさんといかんかね?と思いつつ先へ進むにつれ、アップダウンとコーナーがどんどんキツくなってきた。70キロペースでも辛い。昼間ならどうってことないと思うが、なにせ初めてのルート、しかも夜。スピードメーターを見るとたいしてスピードが出ていないのに、あっという間に次のコーナーが迫ってくる感じがする。それにしても北房ってどこ?あと何キロ?
長い下り坂の先に、「岡山道」の標識が見えた。いつの間にか岡山県内に入っていた。右手に岡山道を見送りながらしばらく走ると米子道への分岐点、それを左手に見送ってさらに進む。ここからは何度か走ったことがある。県境付近とはうって変わって平坦な道のりになり、ダラダラと惰性で進んでいくと勝央SAにたどり着いた。
勝央SAで現在時刻をチェックすると、まだ午後9時半を少々回ったところ。それにしても七塚原でガソリンを入れておいてよかった。ホンキで140キロもの区間にガソリンスタンドなし。まったく、冗談じゃない。それはさておき、眠くはないが少し体を休めておかないと後に響く。と思って周囲を見渡していると、「休憩所」なる建物が見えた。レストランとは別の、小さな建物だ。どうやら仮眠施設らしい。さっそく入ってみると、おばさん2人がとりとめもなく他人の悪口を言い合っている最中のようだった。お構いなしで少し離れた椅子に寝転び、そのとりとめもない話を聞いているうちに眠っていたらしかった。
目が覚めたら10時半を回っていた。あぁ、よく寝た。1時間も寝ていた。さっきまでいたはずのおばさん2人組はとっくに消えていた。ここに着いた時には「大して眠くない」と思っていたのだが、やはり「体は正直」というところか。

やがて兵庫県内に入った。次の目的地は名塩SA。山陽道との合流まで無休憩で一気に走り抜けようと、少しばかりペースを上げた。とはいえここらもパトカーでのスピード取締りが厳しい区間。夜でもパーキングエリアの出口付近にパトカーが待機していて、気を抜いているとあっというまに後ろに付かれることになる。過去何度かその犠牲者を見ている。時折現れる先行車を追い抜く時は慎重にナンバーと車種を確認し、また後方に見えるライトに神経を尖らせる...という走り方をしているうちに疲れてしまい、どうでもよくなって80キロペースで走っている自分に気がついた。急いだって仕方ない。ゆっくり走ろうぜ、と語りかけてくるもう一人の自分に従い、安全第一でノロノロと進んでいく。
交通量がずいぶん増えたな、と感じたすぐ先に、山陽道との合流点が見えた。

4月14日(日) 快晴

ラストラン

山陽道に戻った途端に狂ったようにアクセルを開け、あっという間に名塩SAに滑り込んだ。眠い。腹へった。ガソリンも入れにゃいけん。早速ラーメンを啜りながら時間をチェックすると午前零時半。まさかここまで戻るのにこれほど時間が掛かるとは思わなかった。60キロ規制と勝央SAで1時間寝ていたのが効いている。まぁいい。ここから先は走りなれた道。ゆっくり帰るさ。帰ってからの酒のツマミに「神戸名物」と銘打ったハムを2本買った。1本千円近くする高級品。滅多にない買い物だが、たまにはよかろう。
ガソリンを入れて再び本線車道に飛び出す。モノレール下をくぐりながらゆるやかな坂道を登り、また下ってゆく。両脇の一般道とたいして変わらないペース。こちらが遅いのではなくあちらが速いのだ。100キロ少々のスピードで走っているとブンブンと追い抜かれてゆく。さすが大阪...と妙に感心しながら名神にたどり着く。
大津までは渋滞こそなかったが交通量が多く、ペースが上がらない。それにしても眠い。アクセルを開ける右手首が痛む。早いところ帰ってしまおうと、大津を過ぎたあたりから狂ったように飛ばし始めた。ところが多賀SA手前数キロの地点で渋滞に出くわした。路肩をすり抜けていくと、前方に赤・黄色の回転灯が見えた。事故らしい。現場を通過すると、トラックを含めて数台を巻き込んだかなりの大事故のようだった。中央分離帯が破損していて、両方の車線が渋滞している。まったく、迷惑なことだ。安全運転しなさいよ。つい先ほどの自分はさっさと棚に上げてしまっている。
すぐ先の多賀SAに立ち寄った。まもなく午前2時。一休みしようとしたが、渋滞の影響で駐車場が混みまくっている。とてもゆっくり出来る雰囲気じゃない。なんてこった、と心でつぶやきながら、早々に本線に戻った。
関が原を一気に越えると養老SA。ここで休むか、一気に帰るか。しかしSA入り口付近で遅い車をかわすために追い越し車線に出てしまい、そのままSAを通過してしまった。まぁいい。ここからはあと1時間もかからんはず。
ところがここからが辛い。平坦な直線がひたすら続く。夜中の高速道路はこういうシチュエーションが一番辛い。過去何度も似たような時間帯に通過しているが、すんなりと抜けた記憶が無い。とにかく眠いことだけが頭に残っている。住所が名古屋のすぐ先のトヨタに移った今回こそは一息で、と思ったが、やはり例外はなかった。気が付くと数秒間の記憶がない。気が付くと車線が変わっている。目の前が上下左右に揺れる。ダメだ!もー限界!もうどこでもいい、寝る!バス停を見つけて滑り込み、そのままエンジンを止め、ヘルメットも脱がないでバイクの横に寝転がる。シールドを開けて空を見る。あぁ、星がきれいだなぁ...
バス停でどのくらい休んでいたのかわからないが、まだ空が明るくならないうちに目が覚めた。車通りも絶えている。エンジンを始動し、少し暖気してゆっくりと本線に戻った。あとはもうトヨタ国を目指すだけだ。

退屈な区間をバス停やPAを横目に足早に通り抜け、ようやくトヨタ国内に戻ってきた。コンビニでビールを買い、アパートに帰り着き、バイクにカバーを掛けて部屋に入ってシャワーを浴びて、そこでようやく時間を確認した。午前3時半を少々回ったところ。名塩SAで買ったハムを齧り、ビールを喉に流し込みながら昨日から今までの道のりを思い出す。秋吉台まで約8時間、2時間ばかり観光して帰りは何と11時間半。合計21時間半もの「0泊2日」ツーリング。バイクに乗り始めて以来、毎年何度かはこんな走り方をする日があったのだが、そういえばここ2年ほどやってなかった。いつ以来だろう、思い出せない。1000キロを越えているのは確実なのだが、今回は正確なキロ数をメモってなかった。まぁいいや、明日は目が覚めたらオイル交換に出かけよう。あぁ、疲れた...そんなことを考えながら、いつの間にか眠ってしまった。

おわり

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