2003年大型連休の思い出

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最終日・5月3日(土)

最終日の行程

西風新都

この日、午前5時台にはもう目が覚めていた。前日は水族館に立ち寄っただけで走行距離も短かったこともあって疲労感は全くない。朝食を取り、午前7時には出発した。この日は高速道路メインとはいえ、鳥取県の海岸線は一般道しかなく、それをほぼ全線に渡って走破するハードなルートだ。この時点ではもう一泊することも頭にあった。
家族に別れを告げて早速広島自動車道を目指す。いきなりタイトコーナーの連続する峠を越え、大きな団地を抜けて県道を北へ向かうと五日市IC。この辺り、4年前にはまだ大規模な造成工事の最中だったはずだが、なんだかスッキリとしている。多摩ニュータウンの雰囲気とでもいおうか。もうすこし景色を楽しみたくて、このICを通り過ぎた。その先に、見覚えのない名前のインターチェンジの名前が現れた。
「西風新都」という洒落た名前のインターへ向かって県道をそれ、急な上り坂を一気に駆け上がる。まだ真新しい閑散とした住宅地を抜けると、山の中にポツリとインターチェンジがあった。それにしても、西風新都とは誰が名付けたか。もう3〜4年もすれば賑やかな町並みになっていることだろう。その時にはこの名前も僕の中で違和感がなくなっているのだろう。

中国道〜米子道

広島北JCTで中国道に入り、すぐ先の安佐SAで給油を済ませた。そしてひたすら米子道を目指す。途中、七塚原SA、帝釈峡PA、大佐SAと立て続けに休憩を入れ、ブレーキの具合をチェックしたが問題なし。昨日よりもずいぶんマシだ。これなら中国道から米子道へ続く厳しい山道も、その先の一般道も不安なく走ることができる。
落合JCT手前でイヤな道路情報が目に入った。米子道渋滞である。週末・連休の度に、湯原までが大渋滞するのが慣わしのようになっているのは知っていたが、今度の旅ではすっかり忘れていた。しまった、新見あたりで下りて一般道で山越えした方がマシだったかもしれん。なにせRSは出っ張ったパニアケースのせいで、高速道路とはいえスリ抜けには非常に神経を使う。しかも、湯原まではトンネルが多くなかったか?
しかし今さら後には引けぬ。落合JCTで米子道に入った途端に車が動いていない状況にウンザリしながらも、前に進むしかない。路肩を時速30〜40km/hという自転車のようなペースで抜け、トンネルでは車と一緒になって渋滞にはまりながらも、30分ほどで渋滞を抜けることが出来た。湯原手前のトンネルを越えると普通のペースに戻る。こうなると米子まで一気に駆けることができる。大山PAで休憩ついでに山の写真を撮り、その数キロ先で米子道は終点を迎えた。一般道に下りて、今度は国道9号線を東に向かう。
大山
駐車場から伯耆大山を望む

二十世紀梨記念館

大学生の頃、何度か自転車で通ったことのある懐かしい国道9号線。去年の大型連休でも赤猫で逆を辿った。そんなわけで、よく知っているでもないが懐かしさもない平坦な道を、車の列に合わせて淡々と進んでいく。途中、国道9号線を大きく外れて倉吉市に立ち寄った。古くからの友人が勤めているという二十世紀梨記念館をひと目見てやろうという、ただそれだけのこと。
9号線から見知らぬ県道を経由して倉吉市内へ。途中で何度かバイクを止めて全国版の役に立たない地図とにらめっこ。今回はGPSレシーバを同伴しているので地図上に緯度・経度が表示されていれば現在地の特定は一発なのだが...それでもどうにか「倉吉パークスクウェア」の案内標識を見つけた。後はそれに従って進むのみだが、ずいぶん距離があるように感じた。
ようやく到着。建物外観を一瞥した感想は、正直言って「何じゃコリャ?」だった。やたら大きな建物だ。梨の博物館程度でこんな巨大な建物が必要なのか? と思ったが、それは僕の誤解だった。コンサートホールや地元物産販売店、レストラン、事務所その他が詰め込まれた「○○センター」といった趣の屋内の一角に、目的の梨記念館があった。

「ピアート」という、Pear(梨)とArt(芸術)を掛け合わせたっぽい名前のマスコットが目印の入り口で幾ばくかの料金を支払って入場。まず目を引いたのは、梨の巨木の標本だった。根ごと掘り起こしたそれを、薄暗い館内中央に浮かせてライトアップした形で展示してある。それを1階から見上げ、2階から見下ろす。館内のどこからでも眺めることができるのだ。実を取り入れやすくするために枝を水平方向に成長させた独特の形で、上から見るとほぼ円形に広がっている。その直径は十数メートルは優にあるだろうか。これは面白いアイデアだ。茨城県にある自然博物館の恐竜展示に負けず劣らずの迫力モノだ。
巨木を中心にした円形の館内には、梨の歴史だとか資料だとか、あるいは試食コーナーがあったりする。一応は見て回ったが、それらよりも巨木の方に興味を惹かれた。2階から全体を見下ろす様は圧巻。全体的に薄暗い館内でフラッシュを焚くのがためらわれたので、あえて写真は撮っていない。

あとは帰るだけ...

さて、佐多岬は回ったし、メガマウスは見たし、久々に家族の顔も見て梨記念館にも寄った。九州でのブレーキトラブルで宮崎県内を楽しめなかったのは残念だったが、この旅の目的はだいたい果たした。後は帰るだけだ。
梨記念館を後にして国道9号線に戻る。それから鳥取市内を抜けて、一番近い高速道路までひたすら我慢の走りが続いた。車が少ないのが幸いなのだが、いかにBMWとはいえ、4日間でもう2000キロ近く距離を重ねているので疲労がそれなりに溜まっている。鳥取県内は無休憩で通過したものの、兵庫県内に入ってハッキリとペースが落ち、休憩回数が増えた。そういえば梨に見とれて昼食を取っていなかったのを思い出し、道端の無人自動販売機コーナーでカップラーメンを食べた。これ以後、どんどんペースが落ち、休憩の間隔が短くなる。道の駅では腹が減っているわけでもないのに蕎麦を食べてみたり、車の流れが少し遅くなると道端の自販機で立ち止まってコーヒーを飲んでみたり。そんなこんなで播但道に着いたのは午後6時を回っていた。ここでも饂飩を一杯食べてしまった。

播但道を順調に南下し、中国道に入ったのは日没後間もない午後7時頃。「西宮まで渋滞」の道路情報が目に入ったのですぐ前にある加西SAで休憩。渋滞が解消するまで、と思ったのだが、駐輪場でRSから降りると疲れが一気に噴出する気がした。SAを出たのはおよそ1時間後。さすがに休みすぎたと思って、いつもの休憩地点である名塩SAは通過した。ところが名神高速に戻って京都を過ぎると一気にペースダウン。GPSのログを見る限りでも、菩提寺PAで25分、甲良PAで50分、養老SAで45分と、長時間の休憩が3回もあった。本線に戻っても、大型バスやトレーラーを風除けにして80〜90km/h程度の速度で走る、超ノンビリモード。
いくらBMWが疲れないバイクだといっても4日間で2500キロも走れば、そりゃあ疲れるよなぁ...そんなことを考えながら、時々襲ってくる睡魔と闘いながらトヨタ国を目指していた。それでも猫と違ってバイク自体がスピードを要求しないので、猫のように「140km/hで走行中、無意識のうちに車線変更していた」というような危険な状況に陥ることはなかった。

結局、帰宅したのは翌4日の午前1時過ぎだった。帰る直前にビールを買ってはみたものの、それを飲む元気はさすがに残っていなかった。部屋に入るなり、ビールを冷蔵庫に入れもせずに倒れこむように布団に潜り込んだ。明日はバイク屋も連休明けだから、オイル交換とブレーキの修理。もし目が覚めたらの話だが...その辺りで意識が飛んで、深い眠りに落ちていた。

(完)


追記

パニアケースの容量について

よく「両サイドだけでも一週間程度の旅行には充分」と書かれた記事を目にするが、正直言って不足だった。持っていく分には問題ないが、持って帰るべき土産を積むスペースは無い。自分の場合、工具を必要以上に持っていることも容量不足を感じる一因だが、それらには精神安定剤の役割もあるうえ、今回は実際に使用する機会があった。
なにより、せっかくハードケースがついているのにリアシート上に荷物を縛り付けるのも格好悪いというもの。やはりトップケースの増設が必要だと感じた。

航続距離・燃費について

「ワンチャージ300km」の達成は残念ながら「ギリギリ」だった。これはフロントブレーキの引き摺りが大きく響いていたと思われる。最終日の鳥取県内は一般道メインということもあって、まずまずの燃費だったと記憶している。
なお、現在ではリッター19〜21kmという好燃費をマークしている。

1日で1000キロの噂について

これは噂ではなく真実であると実感した。今回の旅ではそこまで走る機会はなかったが、もし初日に根性を決めて午前中から出発していれば、その日のうちに鹿児島市付近まで到達していたのは間違いない。1日で1000キロは当たり前すぎて面白みがない、いつか「2日で2000キロ」を試してみたい。そう思わせてくれる底力を感じる。
但し、エンジンオイルの減り具合には要注意。今回の旅にはオイル缶(1リッター)を1本携行し、半分ほど使用した。

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