2003年大型連休の思い出

<<【目次へ】 <【二日目へ】 【最終日へ】>

三日目・5月2日(金)

三日目の行程

海の中道海浜公園

結局、日付が変わるまで走りつづけていた。午前0時を回ったところでPAに入りこみ、テントを張って潜り込んだ。翌朝、目が覚めたらもう6時を回っていて、すっかり日が昇っていた。
ブレーキを点検し、また北へ向かう。ブレーキの症状は、高速道路を流している限りは心配するほどのこともなさそうだった。途中、須恵というPAで「熊本ラーメン」に引かれて一杯。豚骨スープにちょっと太めの麺。以前、横浜に熊本ラーメン専門店があったのを思い出す。まるであの味だった。食事を済ませた後は九州道の速い車の流れに乗って、すぐに福岡ICに着いた。
ここでどうしても寄ってみたい水族館があったので、高速を下りた。下りてすぐの幹線道路に親切にも距離付きで案内標識が出ていた。都市高速の下を通って国道3号線に出たところを門司方面へ右折、しばらく進んで左折。そのうち海沿いの長い直線道路に出た。潮風が気持ちいい。直線道路の終点近くに「海の中道 マリンワールド」があった。ここがお目当ての水族館だ。
係員の指示に従ってバイクを所定の場所に止め、水族館というよりもコンサートホールのような建物に入った。メガマウス、ナポレオンフィッシュ、大水槽...展示は充実していたが、さすがにほぼ全国の水族館を訪れている僕にとって目新しいものはあまり無かった。アシカショーも少し覗いてみたが、1頭だけ言うことを聞いてくれないヤツがいて、トレーナーさんがアドリブでなんとか進行をこなしていたのが微笑ましかった。

広島へ

海の中道を後にすると、今日の行動予定としては広島の実家に里帰りすることしかなかった。九州道から中国道・山陽道と何もイベントがないまま通過し、広島市内には午後3時頃に到着しそうな勢いだった。それでは面白くないので宮島に近いICから一般道に下りたのだが、これが大誤算だった。
インターを下りて国道2号線に出たとたん、渋滞にはまった。車がまったく動いていない。その脇を原チャリがスイスイと抜けてゆく。RS君はパニアのおかげでスリ抜けができず、エンジン温度の上昇とブレーキの引き摺りがさらにストレスとして加わる。
廿日市から西広島バイパスに入り、五日市で旧国道2号線に戻った。たしか、この区間に大きなバイク屋があったはず...しかし願い空しく、行けども行けども渋滞の列。本屋を見つけてバイク雑誌でも探すべぇ、と思ったら古本屋だったりして、さらにイライラがつのる。再び西広島バイパスに上がったところでレッドバロンの看板が見えた。やった、ラッキー! もしかしたらパッド交換できるかも...しかしそこはすでに閉店していた。休みじゃない、どう見ても閉店してる。これで諦めがついた。もういいや、帰ろ。

帰省

庚午橋を目前にして、大型特殊車と二輪車はバイパスを追い出される。この橋は2層構造になっていて、普通車は上層部を通って市内へ直接入れるのだが、大特と二輪は一旦バイパスを降りて、交差点を抜けて下層部で市内に入る。この交差点が昔から渋滞の名所となっていて、今もまったく変わりはなかった。本当は橋を渡らずに交差点を左折すればすぐ帰れるのだが、4年振りの広島市内を見たかったので直進した。渋滞気味の国道2号線から平和大通りに抜け、今度は逆に西へと向かう。ところが道に迷った。7歳から18歳までを過ごした広島の街なのに、かつての我が家に向かう道がわからない。しばらくさまよってようやく太田川放水路を渡ることが出来、山の中腹にある団地を目指す。その道も、昔からあまり変わっていないはずなのだが、これでもか! という狭い道幅にバスが通り、路肩は危険極まりない。高校生の時は毎日自転車で通った道なのだが...若いというのは恐ろしいことだ。
自宅まであと数百メートルの公園の端で、ブレーキの点検をすることにした。帰っていきなりブレーキをバラし始めたら、「バイクを置いて帰れ」といわれること間違いなし。それより、僕の頭の中に1つの解決策が浮かんだからだ。
この時付いていたパッドには、現在のものと違ってディスクの当たり面に溝が入っていない。このため、放熱性には元々難があるのではないかという考えにたどり着いていた。溝を掘ることで接触面積を減らして「喰いつき」を防止する効果も期待できそうだ。素人考えだが、なぜか今回のアイデアには自信があった。キャリパーを外し、パッドを外して車載工具のマイナスドライバーでパッド中央・縦方向に慎重に溝を掘ってゆく。深さは1mmほど。これくらいで当面大丈夫だろう。どうせトヨタに帰ったら速攻で交換だ。
修理を続けていると、犬を連れた散歩中のおじさんが話し掛けてきた。自分も昔、BMWのR100RSに乗っていて、あちこち回ったものだなどという話で少し盛り上がった。そういえば、猫を道端に止めて飯を喰っていてもチェーン調整とか立ちゴケの修理だとかしていても、誰一人話し掛けてきた覚えが無かったが、この旅ではすでに3度目だ。BMWのバイクには何かしら人を引きつける魅力があるのだろう。
ブレーキの引き摺りは狙い通り、ある程度の回復を確認できた。それでようやく僕は4年振りの「我が家」に戻ったのだった。

<<【目次へ】 <【二日目へ】 【最終日へ】>