TZR250 3MA−004334の最期

1999/02/12

1999/01/05

出かける前にチェーン調整とエンジンオイル補給をした。1月5日。冬期休暇もあと今日と明日を残すだけとなったところで、一丁ロングランでもやったろうかい、と思い立った。これまで1度しか足を踏み入れたことのない房総半島最南端。寒い寒い冬休みを締めくくるのは、やはり南の方がよかろう。
バイクを外に押し出し、エンジンを掛けた。ところが妙に調子が悪い。アクセルを戻したとたんにエンストする。いくら寒いとはいえ、こりゃおかしい。でも昨日まではちゃんと動いていたし…。とりあえず近所のスタンドでガソリンを補給した。158キロしか走ってない。千円もあれば十分釣がくると思ったら何と10リットルも入ってしまった。何だこりゃ?最後に入れた時でもリッター18〜19キロは走ってたぞ。そういえば昨日はだらだらと走ったので燃費もちょっとは落ちて然りだが、それにしても…。

産業道路から国道409号線で首都高湾岸線を目指していた。普通ならこれくらい走ってくれば水温もそれなりに上昇して、調子が出てくるのだが、やはり何かおかしい。水温は異常ないが、やはり信号待ちのたびにエンストする。それに何となく、トルク感が薄いような気がする。ついに首都高・アクアライン入り口までやってきて断念した。ひとまずプラグでも開けて調べてみることにして、防波堤脇の、粗大ゴミだらけの道路脇にバイクを止めた。
まずはカウルを外すところからはじまる。これがまた面倒臭い。続いて小さなモンキーレンチに継手を足して、右側のプラグからチェックしてみる。さすがに数万キロ走っただけあって、側方電極が削れて薄くなっている。上部のアルミ端子も黒く変色している。メンテナンス性の悪さもあって、ずいぶん放置しておいたものだ。こりゃすまんことをしたな、と思いながら左側を開けると、上部のアルミ端子がない。とおもったら本体のネジが削れている。アルミ端子はどこへいったのか?とプラグキャップを覗くとそこにあった。どうやら振動でガタが出て、ネジ部分が削れて外れてしまったらしい。それにしても困った。このプラグキャップの奥にはまり込んでいるアルミ端子を外さないことには、新しいプラグに交換することもできない。しばらくゴミの中を漁った結果、木ネジのようなものを見つけ、強引にネジ込んで何とか外すことが出来た。アパートに新品プラグが1セットあったのを思い出し、速攻で帰った。

またもや面倒臭いカウル脱着の末、なんとかプラグを交換した。番手はTZR純正のBR8ESではなく、前に乗っていたRZのものと同じBR9ES。1番くらいの差は何とかなろう。ちょっと焼け気味だったから、コールドタイプが丁度いいかもしれない。それでもやはりアクセルを戻してエンストするのは変わりがない。まぁいい。アイドルを上げて対処しよう。そこまでやってようやく気分もよくなり、佐野ラーメンでも食べにいこうと再び出発した。
柳町工場前の道路から国道1号に出る交差点を曲がろうとした時、いきなりエンストした。後ろには当たり前だが車が並んでいる。大ひんしゅく!そんな時に限ってエンジンがかからない。やばい!後ろの車に手で合図して先に行かせ、信号が変わる寸前でようやく脱出できた。こりゃ駄目だ。佐野まで持たない。ガス橋通りから尻手黒川に出て帰るべ。と思って国道409号線を今度は小杉方面へ向かった。しばらく走っていると、突然後ろから「バスン」という鈍い音が響いた。何だ?いや、TZRのエンジンだ。それも一度きりではない。連続して「ババン、バン、バスン」と来やがる。なんてこった、ミスファイヤだ。慌てて路肩にバイクを止め、アクセルを開けてみる。やはりミスファイヤだ。両方のエキバイに手を当ててみると、左側から不定期に「バン」という勢いのある排気が感じられる。あぁ、やっぱり駄目か。ついに壊れたか。

どうやら状況はいよいよ悪化してきた。ここから帰らなければならない。押し歩いて帰れる距離ではない。夜になってしまう。そのまえに体力が持たない。とはいえ、今まで来た大通りを走るわけにはいかない。危険過ぎる。仕方なく南武線沿いの裏道へ進路を取った。ここからも出来るだけ大通りに出ないように走らなければ。できれば八丁畷の駅裏あたりに出て、そこからゴム通り経由。ところがこの南部線沿いの道は坂道の繰り返しだったことを忘れていた。登らねぇ!信号もある!踏み切りまである!一時停止や信号、踏み切りは押して歩き、平坦路はエンジン回転数を思いっきり上げて、ごまかしながら走りつづけた。東海道線+京浜東北線の大きな踏み切りを渡ったところで自動車学校が見えた。よしよし。思い通りのルートだ。最近、まったく走っていなかった割には上出来だ。ここであまりにもミスファイヤがひどいので、左のプラグキャップを外してしまった。ついに片肺飛行だ。さすがにパワーが出ない。片肺だと単純に馬力が半分になるだけのような気がするが、実のところ死んだシリンダーの圧縮・掃気工程の全てが抵抗になる。ビッグキャブがここぞとばかりに裏目に出て、アクセルを開ければ開けるほどパワーダウンする。そしてどんなに調整しても五千回転以上上がってくれない。それでも京急の踏み切りと第一京浜の信号を渡ってようやくゴム通りに出た。ここからはもう大した問題もない。少しは気を抜いて走れる。
もうアクセルをどんなに調整しても時速30キロがやっとのスピードしか出ない。あぁ、これがかつて、というかおとといまで時速200キロを誇ったレーサーレプリカのなれの果てか。さすがに悲しかった。やっぱり今まで飛ばし過ぎだったのかなぁ。おとといの夜のアクアライン、あのトンネルの下り坂がとどめの一撃だったのかなぁ。そういえば海ほたる直前の上り坂、いくら向かい風がきついとはいえ全然スピード出てなかったもんなぁ。あれでもう終わってたのかな。やっぱり250じゃぁ、いくら高性能つったって所詮無理矢理馬力出してるだけだもんなぁ。RZと比べたって、同じ距離で倍近くは回してるはずだ。はやいとこキャットが来ないかなぁ。なにぶんスピードが出ないもので、いろんな事を考えながら走った。最後の数百メートルは住宅街の真ん中を通るため、やむを得ず押し歩いた。まったく地獄のような一日だった。

帰り着いて、点火系を調べた。イグニッションコイルとハイテンションコードには異常がなさそうだ。プラグを交換したとたんにミスファイヤを起こしたので、多分、プラグキャップが腐っているための接触不良だろう。そうでなければCDIユニットがパンクしている。とりあえず、安いほうの手段としてハイテンションコードとプラグキャップの交換が残っている。それでも数千円の出費だ。CDIユニットは数万円するのに比べればまだましだ。冬休みは明日1日残っている。まぁ、駄目で元々でチャレンジしてみるべ。

1999/01/06

今年初めてバスに乗った。川崎駅から東海道線で品川まで、そこから京浜東北に乗り換えて上野に出た。プラグコードとプラグを買うためだ。駄目で元々ではあるが、かすかな希望をつなぐ部品である。入谷口から外に出ると、いつも利用しているコーリンが定休日。国道4号線を渡って見渡すと、開いている店があったので、そこで物色することにした。NGKのプラグコード×2+スパークプラグ×2、合計4090円の買い物だった。これでなおれば儲けもんだ。
さっさとアパートに帰り、組み立てた。コードの長さを合わせ、カプラーをつなぎあわせ、タンクを載せる。そして待ちに待ったエンジン始動。しかし…。
キーを回した時、いつもならYPVSの「ウイー、イー」という音が聞こえるはずだが、それが「ジジ…」と短く途切れる。バッテリーが上がってるはずはない。なぜだ?そして果たしてキックしてみると、左エキパイから昨日と同じく「バスン」というミスファイヤの音。近所の子供たちがびっくりして集まってきたほどよく響いた。
「バイク直してんの?」
子供たちの無邪気な質問に、そうじゃない、こわれちゃったんだ、と苦笑いしながら答えた。そう。壊れたんだ。YPVSが動かないなんて、そういえば昨日はチェックしてなかった。エンジンがかかるかかからないかに気を取られすぎていたせいだ。何度キーを回しても、バルブはほんのわずかの往復運動をしただけで停止する。もはや原因はCDIユニットのパンク以外にあるまい。部品代だけでも数万円はする代物だ。しかもマニュアルにはユニットから伸びている端子についてのテスト項目がない。入れ替えて調子がよくなったら、前に使っていた奴は駄目だから交換、ということぐらいしか書かれていない。
無駄なあがきだとは知りながら、リミッターカット用の小さなボックスを外してみた。当たり前のごとくYPVSは動作しない。やはりCDIか。あるいはバルブが焼き付いたのか。ということはピストンに穴が空いたのか、シリンダーに何か異常が発生したのか。どのみち、再起不能なトラブルだ。普通ならバイク屋に飛び込んで、何とかしてくれと泣き付くところだが、もうキャットを発注してしまっている。いまさら直すのは無駄な出費だった。数千円で直ればいいが、それでも今月いっぱいか来月いっぱい乗るだけだ。そうそう、当てにしていた下取り代がこれでパーになるな。かろうじてそんなことを考えて笑った。
それにしても、年明け早々に死ぬなんて、まるでキャットに乗り換えることへの当て付けのようじゃないか。ガソリン・オイルも満タン。タイヤも残り十分。後ろのブレーキパッドだって新品なのに。何が不足だっていうの?
買ってしばらく乗った時、こいつの性格は絶対に「女」だな、と思ったが、やっぱり間違ってなかったみたいだ。中島みゆきの唄に出てきそうな、しつこそうな女。そう思った。

さようなら、TZR250、3MA−004334。

お前はなかなか楽しい奴だったよ。

48000キロも走ったんだ。もう満足したろう。

もう多分、誰もお前に乗ることはないだろう。

その太いアルミの骨格は溶鉱炉の中で生まれ変わるのか。

あるいはどこかの処分場でただのゴミとして埋もれるのか。

と、ここまで書いたところで思い出した。ジャンク屋をあさればCDIユニットぐらい手に入るかも知れない。平塚の湘南ジャンクヤード、東名高速横浜IC入り口近くにも何かあった。Mr.BikeとかTouch Bikeに電話番号が載ってるだろう。そのうち聞いてみよう。とにかくキャットがくるまでの何週間になるかわからない時間をバイクなしで落ち着いて過ごせるほど、僕は大人じゃない。

1999/01/08

昨夜から日本近辺には大陸からの寒気が流れ込んでいて、新潟や長野では大雪になっているというニュースを見ながら目が覚めた。関東でも北部の山沿いでは雪になっているという。道理で寒いはずだ。そう思って起き上がろうとすると、体が妙に重い。喉も痛い。どうやら僕も風邪を引いてしまったらしい。枕元においてある体温計で熱を測ってみたが、とりあえず微熱寸前程度。それでもしんどいのはしんどい。昼近くまで寝ていたが、それでも欠勤するわけにはいかない。重い体を引きずりながら、途中でラーメン屋に寄って野菜ラーメンを食べてから出社した。
ところがやっぱり体調は回復しない。あんまり咳がひどいので、途中のコンビニでマスクを買ったほどだ。工場内に入って席についたはいいが、ますます状態は悪化する。頭も重い。雪が降ってきたという知らせを受けて、ついに早退した。

そのまま帰るのも癪だったので、バイク屋に寄ってみた。片肺になったという話をすると、やはりCDIユニットだろう、言われた。そんなこともあるらしい。マスターは食事を中断して、「ちょっと待ってろ」と、しばらく在庫を漁っていたが、なんと90年型TZRのCDIユニットを引っ張り出してきた。しかしなんだかユニットから出ている配線の本数が全然少ないような気がする。そういえば、後方排気TZRの前期型と後期型では電装系が全然違っていたような記事を雑誌で見た覚えがある。そういう話をしたが、マスターは「エンジンの基本的なところはいっしょだから、カプラー合わないところをなんとか繋げて、動けば儲けもん」という。まぁ、どうせ駄目で元々ということで、とりあえず借りて帰った。
部屋に帰り、マニュアルを紐解いてみると、やっぱり配線の本数が全然違う。しかも90年型CDIユニットは、何となくずっしりと重い感じがする。こりゃ、絶対何かの部品がひとまとめにされてるぞ。そんな感じだった。あるいはCDIユニットとYPVSコントロールユニットが別体式になったのか?そんなはずはない。問題のCDIユニットからは数本の配線が伸びているのだが、その先は1つのラバーフードに接続されている。これはメーターパネルとメインハーネスへのものだろう。いや、下手するとメーターだけかもしれない。そうすると、ハーネス+メーターごと交換しなければならないのか?今更そんな無駄なことはできない。そもそも配線が短すぎる。取り付け位置はいったいどこなんだ?いずれにしても90年型のマニュアルを入手すべきかもしれない。89年型との差分だけだから、500円程度のはずだ。

英知出版社の「絶版車カタログ」という小冊子が手元にある。その"Part 3"の中に、TZRの後方排気が両方とも載っている。試しに89と90でどういう違いがあるのかを調べてみた。すると、「…点火方式を従来のフライホイールマグネトーから始動のみをバッテリーとするCDIバッテリー点火に変更。」とある。その他、リードバルブやポートタイミング、CDIローター軽量化等があげられているが、電装系の最大のポイントは、その点火方式くらいしかない。「始動のみ」と書かれているから、動いてしまえば従来通りなのだろう。また、YPVS制御方式について、「…エンジン回転数とスロットル開度の2系統からのコントロールによる…」とあるが、元々、TPS付きキャブだから、新たにセンサーが追加されたということはあるまい。そうすると、基本構成には大した変化はなく、配線レイアウトとYPVS制御プログラムだけが大きく変わったとも読み取れる。ということは、マニュアル頼りに配線を解析すれば、エンジン特性が変わるのは致し方ないとしても、装着できて乗れるようになるはずだ。しかし、その本はサービスマニュアルではないから信用は出来ない。

というところまで書いて、頭が痛くなってきた。熱を測ると、腋下で37.4度、舌下で38.1度ある。こりゃ駄目だ。本格的に風邪引いたみたい。というわけで、次の日曜日にでもまた相談にいくことにして、今日は寝てしまおう。

1999/01/31

CDIは結局駄目だった。やはり配線が全然違っていて、マニュアルとにらめっこしたものの、どう考えてもCDIユニットの内部構造が違っているとしか思えなかった。
バイク屋のマスターにアドバイスを受けながら、燃料系のチェックをやってみたりしたが、状況に変化なし。

昨日になって、YPVSユニットのチェックをやってみた。サーボモーターから伸びているワイヤーを外し、ペンチでひねってみた。ところがびくともしない。ほんのわずかなガタがある程度だ。どうやら最悪の事態を覚悟しなければならない可能性が出てきた。
エンジンをばらすことを決意し、上野のバイク街へ出かけようとアパートを出た。途中でバイク屋に寄って、CDIユニットが無駄になりそうな旨を一応報告した。するとマスターは、その前にエキパイを外して、バルブにキャブクリーナーを吹き付けてみろという。キャブクリーナーは約2000円。もし焼き付いていたりすると、これから買おうとするガスケット類約1万円は無駄になる。さすがはバイク屋だ。目の付け所が素人とは違う。感心しながらクリーナーのスプレー缶を買い、ついでに今度は型の同じCDIユニットを借りて、Uターンした。

そういえば、シートカウルやエキパイを外すのは買って以来初めてだった。カウルは楽に外すことが出来た。次はエキパイと思ったら、サイレンサーの前後から怪しげなパイプが下に伸びている。マニュアルを見ながらそれでも何とかはずそうとすると、ステップホルダーが邪魔して外せない。それではとステップホルダーを外しにかかったが、ネジが異様に固い。ギリギリと音が聞こえてきそうな固いネジを半分くらい抜き取ったところで青いものが見えた。ネジロック剤だ。道理で固い筈だ。
30分ぐらい格闘して、ようやくエキパイが外れた。排気口から中を覗くと、確かに左側のシリンダー側面にカーボンが付着しているのがわかった。でもシートレールが邪魔をして顔を近づけることが出来ない。これまた固いネジを外し、なんとか引っこ抜いた。これでバイクの後ろ半分がきれいさっぱり空っぽになった。
スプレーを吹き付ける前に、指でどのくらい固まっているのかを確認してみた。右側の方は先ほどの小さなガタを感じるくらい動く。左右のシリンダー間に見えるジョイントも、それなりに動いている。ところが左側シリンダーのバルブはまったく動かない。まったく、どうなってるんだ?そんなことを考えながら、とりあえずスプレーしてみる。
10分くらい放置してみても、動きはまったく変わらない。それでも少しは汚れが落ちた筈なので、ティッシュを突っ込んで拭いてみた。そして覗き込むと…。

ピストンが融けてる…!

専門用語で言うと、デトネーションというやつだ。さらに詳しく、左右を比べてみる。左の方はピストンの上部がかなり融けてなくなっているようだった。リングもしっかりとピストン本体に埋め込まれてしまっているらしい。バルブもシリンダーに融け込んでしまっているのだろう。これではキャブクリーナーも用なしだ。
こりゃあまいった。ガスケット買わなくてよかった。CDIも買わなくてよかった。
もし直すとすると、シリンダー&ピストン&ピストンリング、さらにバルブ交換。付随するガスケット類を除いても、10万円では足りない。
組み立てる気力もなくして、それでもガソリンタンクを車体に乗せるため、シートレールだけは組み付けた。その他のパーツはもう縁側に放り出したまま。辛うじて工具を片付け、再びバイク屋に行き、CDIユニットを返却して事の顛末を報告した。そして1〜2万円で買える安いスクーターでもあったら知らせてよ、と頼んで店を出た。あんまり癪なので京急駅前のヨドバシカメラを物色し、そこからバス乗り場に向かう途中に楽器屋を見つけ、安いギターを一本買ってアパートに戻った。

さようなら、TZR250、3MA−004334。

よりによって焼き付きで終わっていたとはなぁ。

もう残り少ないから飛ばし気味だったのが悪かったのか?

オイルポンプを絞り気味にしていたのがまずかったのか?

もしかしてニューマシンに嫉妬したのだろうか?そんな気もする。
さて、処分方法を考えなければ。街角でよく見かける、「不要バイク無料回収」の0120にでも電話してみるかね?

1999/02/07

日曜日の朝。布団の中で寝ぼけていると、電話がかかってきた。出るのが面倒だったので留守電にしてしまった。あとで聞いてみるとバイク屋から「シキュウレンラクサレタシ」というような内容だった。
昼前に電話すると、スクーター要らんかね?というような話だった。とりあえず「要らん」という返事をし、ついでにTZRの処分をどうしようかを相談してみた。親爺は少し考えていたが、「じゃぁ、今日取りに行く」ということを言い出して、そのまま話はまとまった。

TZRはこの前の一件以来、分解したままになっていたので、とりあえず持っていってもらえるように組み立てることにした。それにしても悲しい組立作業だった。二度とよみがえることのない恋人のバラバラ死体を繋ぎあわせていくようなものだ。エキゾーストパイプを組み付け、ステップホルダーを組み付け、シートカウル、シート、ガソリンタンク、そして最後にフロントカウル。組みあがった姿は2年前に買ったそのままなのだが、それが余計に悲しみを増幅させる。いっそ、派手に事故ってぐちゃぐちゃになったほうが心は救われたのだろうか?部品が少々余ったり、組み付けが間違っていたりしていたが、もうそれらを直す気力はなかった。
夜になってバイク屋の親爺から電話があり、落ち合う場所を打ち合わせた。アパートのすぐ側のバス通り。そこまで押して歩いた。信号を渡り、路肩が広くなっているところへ止めて、テールランプとウィンカーを点けた。ものの数分もしないうちにウィンカーはバッテリー上がりで点滅しなくなり、テールランプだけを点けて待っていた。寒い夜だったが、バイク屋の親爺はすぐにやってきた。
TZRをトラックの荷台に乗せ、タイラップで固定する親爺を僕は呆然と眺めていた。その作業が終わったのち、必要書類を確認した。印鑑がないかというので、僕はちょっと待ってといってアパートまで取りに走った。日ごろ使わない印鑑を押し入れの中から取り出して、アパートから出たところで待ち切れずにバス通りの信号を渡ってきた親爺に出くわした。そこでそのまま印鑑を渡し、お願いしますと一声かけてアパートへ引き返した。その途中、そういえば晩飯を食ってないことに気が付き、再びバス通りに足を向けた。

ついさっきバイクを押して渡った信号の向こうには、もう誰もいなかった。TZRもバイク屋の親爺も、もう見えなかった。その近くのラーメン屋に入ろうとして、財布の中に数百円しかないことに気が付いた。そこでようやくバイクがなくなった実感が湧いてきた。これまでならここでアパートに引き返してヘルメットをかぶり、「やれやれ」とかなんとかつぶやきながらバイクを押して出て、川崎駅前の住友銀行24時間稼動ATMまで金をおろしに出かける筈が、今はバスの時間を気にしなければならない。思わず舌打ちをしながら、それでもバスの時刻表を見て、駅前へラーメンを食べに行こうとする僕だった。

さようなら、TZR250、3MA−004334。

目が覚めても、もう君は僕の傍にはいない。

2年弱、4万8千キロという短い間だったけれど、君のことは決して忘れない。

仕事をサボって富士山麓を疾走したこと。

理由もなく日本海を眺めに出かけたこと。

紀伊半島へ2度も足を伸ばしたこと。

東名高速から中央道へ、24時間走り続けたこと。

天竜川沿いの真夜中の国道を、ガス欠の恐怖におびえながら駆け抜けたこと。

南アルプス街道の未舗装の林道を数十キロも走破したこと。

毎週のように佐野へ足を運んだこと。

その他諸々の、無茶としか言いようのない長距離日帰りツーリング。

そして、大型二輪免許を取ろうと決意させてくれたこと。


さようなら。ごめんね。そして、ありがとう。

(完)


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