さよなら、黒猫(2)

さようなら、黒猫。
ありがとう、黒猫。

ちょっとした想い出話など

1台のバイクで11万キロも走ると、何が想い出に残っているかと言われても咄嗟に出てこない。あっちも行ったしこっちも行った。特に昨年春に赤猫を手に入れて以来、どちらを使ったかがどうでもよくなっていて、「あそこは赤猫だったっけ、黒猫だったっけ?」と自分でも思い出せないことが多い。なにせ走行中は自分からカウルが見えないし、タンクの上には黒いバッグが乗っていて大きなタンクをほとんど隠してしまっている。立ち止まって写真をパチリ...という風情もなく、僕はひたすら走り続けていた。

その中でも明らかに黒猫だったロングツーリングをいくつか拾い集めてみよう。

「瀬戸内半周0泊2日」

黒猫を買ったその年のゴールデンウィーク。高速道路をひた走って明石海峡大橋を渡って四国に着いた。そのまま一般道を海岸沿いに西へ向かい、坂出から再び橋を渡って本州に戻ったのはもう夕方だった。本当は松山あたりで一泊するつもりでテントまで持参していたのだが、なんだか嫌なことが続いたので「もういいや」とばかりにさっさと引き返してしまったのだ。夜通し走り続け、翌朝未明には川崎に戻っていた。

「ぶらり中央道〜東名0泊2日」

同じ年の夏。仕事が終わった後、何となく中央道に足が向いた。そのまま夜を走りつづけていたら、明け方になって名古屋に着いていた。帰り道は東名で川崎までひとっ走り...ではなく、いつのまにか天城峠を越えていた。その後の記憶は定かでなく、どうやって帰ったのかは不明。

「盆休み中国紀行」

これも同じ年、初めてバイクで広島の実家に帰省した。雨の夜に出発し、夜通し走りつづけて大阪に出たのが昼過ぎ。山陽道から中国道、米子道と彷徨って、島根県の安来市で一泊。翌日、集中豪雨の復旧工事による渋滞を潜り抜けてやっと広島市内の実家に着いた。1日休んで次の日にはもう川崎へ引き返していた。

「東北大陸縦横断」

2年目の夏、ふと「本州最北端の地へ行きたい」と思い立って、突然飛び出した。仙台手前の白石市付近で一泊し、2日間かけて大間崎に辿りついた。3日目は三陸海岸を南下して釜石で一泊。4日目はなぜか秋田県の日本海側を南下していた。温海温泉で一休みした後、これまたなぜか米沢を経由して1日目の宿泊地点に戻っていた。最終日の5日目は福島県小名浜にある水族館に寄り、国道6号線で川崎に戻ったのは夕方だった。
特筆すべきはこの間、高速道路はおろか有料道路すら使わなかったこと。現在に至るまで、これだけ長距離で有料道路を使わなかったのは後にも先にもこの時だけだ。また、3日目の釜石手前では、望まぬことながら数キロの林道ツーリングも体験した。

「白河ラーメン紀行」

3年目、トヨタ国に移って初めて迎えた秋。厳密には白河ではなく、栃木県北部の氏家町というところ。白河市の隣は西郷村にある有名店から暖簾分けされた本格的な白河ラーメンの店がある。僕のお気に入りの、あっさりした醤油味スープに極太の縮れ麺の組合せ。日の出前に出発し、ラーメンだけ食べて夕方まだ明るい時間に帰ってきた。一般道は必要最小限しか走っていない。たった一杯のラーメンを食べるためだけに、ほぼ全線高速道路でトヨタ国と栃木県北部を往復した。
あとで地図を見て、実は往復で千キロを越えていたことが判明して我ながらびっくり。

「四国一周2泊3日」

黒猫での実質最後の泊りがけツーリングとなった、赤猫デビュー後の4年目の夏。明石海峡大橋から淡路島経由で四国に渡った後、東海岸を南下して室戸岬で一泊。海辺の駐車場にはやたらたくさんの動物学的猫がいた。道をはさんだ向こう側の駐車場そばの藪の中には大きな野良犬もいて、なかなか恐ろしい場所だった。しかも夜には豪雨でテントが水没しかけるという前代未聞の事件もあった。駐車場端の排水溝が落ち葉で詰まって、僕が設営していた場所が深さ数センチの水溜りと化してしまったのだった。大慌てでテントとバイクを移動し、まんじりともしないで夜を明かした。
2日目は高知県の海岸をノンビリ走って足摺岬を回り、見知らぬ道の駅で一泊。ここにも生物学的猫がたくさんいた。3日目には西海岸を北上して愛媛県へ、そして「しまなみ街道」で一気に本州に戻った。ところが丁度盆休みの渋滞にはまってしまい、途中のサービスエリアでは給油のために何と30分も待たされていたことが後になってGPSのログから判明。さらに名神高速で大規模な事故による数十キロの渋滞があり、疲れきった体での鈴鹿越えを強いられたりした。
初日・最終日はともかく、2日目の高知県沿岸はとても気持ちよかった。

川崎にいた頃はとにかく走った。名港水族館や鳥羽水族館にちょくちょく足を運んでいたし、紀伊半島も黒猫だけで2周はしているはず。新潟方面の日帰りも月イチぐらいやってたし、何と云っても外せないのは旨いラーメンを求めて毎週のように佐野・白河方面に足を運んでいたこと。これは日立市に住んでいた頃からの習慣になっていたように思う。
「0泊2日」というツーリング形態は中免取得以来の伝統行事みたいなもので、年に1度はやらないと気がすまないまでになっている。
トヨタ国に移ってからは、60日免停があったり赤猫の導入があったりで登場機会は目に見えて減少し、第一線を退いた感もあったが、それでも距離計を見直すと、この1年だけで1万マイル、1万6千キロ以上も走っていた。赤猫の2万5千キロと合わせて4万キロ以上である。
オーリンズのリアサスが生み出す絶妙のコーナーワークと安定した高速巡航性能は、新車の赤猫をして「フニャフニャした足回り」と思わせてくれたものだったし、イリジウムパワーのスパークプラグもDIDのゴールドチェーンも、「新車の赤猫よりよっぽど速い」と感じさせてくれた重要な構成要素だったに違いない。それら数少ないが決して安価ではないパーツチョイスは、まぎれもなく「長距離をいかに短時間で快適に走り抜くか」を追求した証だったといえる。
世の中に楽なバイクは多々あれど、1日千キロも走れるほどのスピードと快適性を備えたバイクがどれほどあるだろうか。さらに走行距離10万キロを耐え抜くだけの耐久性までも備えたバイクがどれだけあるだろうか。おまけに装備重量は220kgそこそこの軽量級といえばどうだろう。

YZF600Rはミドルサイズで最強のスポーツツアラーだった。BMWに乗換えを決めてしまった今でも思う。ヤマハさんには是非とも後継機を出して頂きたいものである。

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